【ドラゴンボール 戦闘力考察関係】

<もともとの人造人間編構想(3)>

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人造人間編の悟空とベジータの力関係は、互角(どちらが勝っても、全く不思議ではない)と考えました。

ベジータが悟空に勝てる気満々でいた自信。
これは第23回天下一武道会編の決勝戦前に、ピッコロが悟空に勝てる自信に満ちていたのと同じものではないかと思う。

決勝戦が始まろうとする直前の武舞台前のやりとり。

ピッコロ「ふっふっふ・・・。だが今度は絶対にキサマの息の根を止める・・・!言っておくが今度のピッコロ様の実力は3年前とは比べ物にならんぞ!」
悟空「それはオラだってだ!」
ピッコロ「くっくっく・・・せいぜいいきがっておくんだな。キサマさえ消せばあっというまにこの世はオレ様のものになる・・・!すばらしい魔の世界が待っているんだ!ふははははは・・・!!」

ピッコロが武舞台へと向かっていく場面。

▽ピッコロ
「仲間と別れを惜しむ必要はないぞ。キサマを殺した後すぐにそいつらもあの世に送ってやるからな」

武舞台で2人が向かい合う場面。

ピッコロ「覚悟はできたか」
悟空「なんの覚悟だ」
ピッコロ「もちろん・・・死ぬ覚悟だ!」

このように、勝てる気満々でいるケースとは、自分の方が強い時だけではなく、互角の力関係の時にもあることです。

17号・18号が戦士たちを全滅させて、クリリンと対面した場面。

▽17号
「孫悟空はこの世で一番強いんだろ?人間では・・・」

戦士たちが仙豆を食べて復活した場面。

▽天津飯
「はっきり言うぞ・・・!悟空がいくら強いといってもトランクスやベジータとそれほど変わるもんじゃないはずだ・・・。絶対に勝てっこない・・・!!悟空でも・・・」

このようにベジータが自分が最強だという自信に満ちていながら、悟空が最強だと思わせる流れも存在している人造人間編ストーリーは、両者が互角という見方が最適となるものではないかと思う。

精神と時の部屋から出た悟空が、カリン塔で半分の力を発揮した場面。

▽ベジータ(天界で悟空の気を感じて)
「(く・・・くそったれカカロットめ・・・。い・・・いつもだ・・・・・・。いつもオレより一歩先を行きやがって・・・・・・!!まったくアタマに来るやろうだ・・・・・・。追いついたと思ったらまた突き放しやがる・・・・・・)」

これが人造人間編開始時点の悟空とベジータの力関係を、最も的確に示しているものではないかと考えられます。

詳細:人造人間編の悟空とベジータの力関係

これらから、人造人間編開始時点の悟空とベジータの関係は、第23回天下一武道会編やラディッツ編の悟空とピッコロの関係と同じものだと推測します。

映画版の、
「超悟空・超ベジータvsメタルクウラ」
「悟空・ピッコロvs変身ガーリックJr.」

この2つがよく似ているのも、そのような要因からくるものではないかと思う。



−2−

もともとの人造人間編構想(ラスボスが19号・20号 or 17号・18号・16号)とは、戦士たちが人造人間編開始時点の強さで最終決戦(作品最後の決戦)に向かっていくものだと考えました。
そうすると人造人間編完結構想の悟空とベジータが対等なライバルとして作品完結に向かっていく流れ。
これは第23回天下一武道会編で悟空とピッコロが、励みになる対等なライバルとなって、作品完結に向かっていく流れに類似するものになります。

●ドラゴンボールZ アニメスペシャル 袋とじ「わしとアニメ」6コマ目
(※大全集7 大全集@未収録イラスト集にも掲載)

あまり大きな声ではいえませんが、はじまった時点では悟空が大猿に変身したり、ましてやサイヤ人などという宇宙人だった!と、いうようなことは全然考えてはいませんでした。自分でも感心してしまうのは、こういう強引なまでのうまいつじつまあわせだったのです。

ここから、悟空が宇宙から来たサイヤ人だったというのは後付けで、もともとは地球人として描かれるものだったと判断できます。

そして第23回天下一武道会編終了話(第194話)のタイトルの「ドラゴンボールの贈りもの」。

その話の扉絵の煽り分。
「―たったひとつのドラゴンボールから 全ての物語が始まり、そして今、世界は平和を、手に入れた!―」

神様がピッコロという悪を生み出したことを、悔いている場面。

▽亀仙人
「じゃが世を再び平和に導かれたのもあなたですぞ・・・。あなたの造られたドラゴンボールがなければ、今の孫悟空やここにいる者たちの成長や出会いはなかった・・・。たった1個のドラゴンボールから全てが始まり、そして世を守ったのです」

これらから第23回天下一武道会編とは、地球人悟空の冒険物語の終着点と考えられます。

そうすると人造人間編完結構想の、悟空とベジータが対等のライバルとなって、作品完結に向かっていくと推測する内容。
これは地球人悟空の冒険物語の終わり方(悟空とピッコロが対等のライバルとなって、作品完結に向かっていく)を、宇宙を舞台としたサイヤ人悟空の物語の中で再表現したものではないかと考えられてきます。



−3−

前シリーズからの流れを含めて、見ていきます。

最初に「初代ピッコロ大魔王編→第23回天下一武道会編」の流れについて。
作品の舞台を地球とする物語(地球人悟空の冒険物語)の中で、初代ピッコロ大魔王は最高の悪の支配者といえる存在ではないかと思う。
その初代ピッコロ大魔王を倒した段階で、悟空は仲間内で競える者がいないほどの絶対的な単独最強戦士になっています。
そして次の第23回天下一武道会編で、励みになる対等のライバルのピッコロが現われ、地球人悟空の冒険物語は集結に向かっていきます。

次に「フリーザ編→人造人間編完結構想」の流れについて。
フリーザは、作品を象徴する宇宙の支配者といえる存在ではないかと思う。
そのフリーザを倒した段階で、超サイヤ人の悟空は仲間内で競える者がいないほどの絶対的な単独最強戦士になっています。
(悟空がフリーザを倒したことを知った天津飯の「こ・・・これで悟空の強さは宇宙一に・・・。なんだか遠い世界の人間になってしまったようだな・・・」より)
そして次の人造人間編完結構想が、悟空とベジータが対等のライバルとなって、作品完結に向かっていくというもの。

どちらもそれぞれの物語領域で最大の悪の支配者といえる存在を倒し、悟空が仲間内で競える者がいない単独最強戦士となった後に、次のシリーズで励みになる対等のライバルが現われ、作品完結に向かう流れとなる共通性があります。

「フリーザ編→人造人間編完結構想」の物語の流れ。
これは地球人悟空の冒険物語に存在した「初代ピッコロ大魔王編→第23回天下一武道会編」のような作品完結への向かい方を、作品の舞台が宇宙に広がり、悟空がサイヤ人として描かれる中で、再表現したものではないかと推測します。



−4−

人造人間編開始時点の戦士たちの強さとは、人造人間編完結構想での物語終了時の戦士たちの強さでもあると推測するものです。
そのような視点からも、人造人間編開始時点が「悟空≦ベジータ」ではなく、
「悟空=ベジータ」という見方が、最適と考えられてくるように思う。



●地球が舞台の物語の中での「初代ピッコロ大魔王編→第23回天下一武道会編」
※悟空が、地球人として描かれる。

・最大の悪の支配者の初代ピッコロ大魔王を倒し、悟空が仲間内で競える者がいないほどの単独最強戦士になる。
・次のシリーズの第23回天下一武道会編で、励みになる対等のライバルのピッコロが現われ、地球人悟空の物語は終結に向かっていく。

●宇宙を舞台とする物語の中での「フリーザ編→人造人間編完結構想」
※悟空が、惑星ベジータから来たサイヤ人として描かれる。

・作品を象徴する宇宙の支配者のフリーザを倒し、超サイヤ人悟空が競う者がいないほどの単独最強戦士になる。
・次のシリーズの人造人間編完結構想(ラスボスが19号・20号 or 17号・18号・16号)で、対等のライバルの超サイヤ人ベジータが現われ、作品完結へと向かう。



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■関連考察

人造人間編の悟空とベジータの力関係




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