【ドラゴンボール 戦闘力考察関係】

<人造人間編の悟空とベジータの力関係>

−1−

人造人間編の悟空とベジータは、どちらが強いのか。

このころのベジータには、悟空を超えたという絶対の自信のようなものがありました。

ドクター・ゲロの研究所に向かおうとする場面。

▽ベジータ
「カカロットなど待つ必要はない!見て分からんか。このオレも超サイヤ人になったんだ。同じ超サイヤ人ならあんなヤツより王子のオレの方が数段強いに決まっている・・・!!」

ドクター・ゲロの研究所に、向かっていく飛行中場面。

▽ベジータ
「カカロットがどうしたと言うんだ。このオレも超サイヤ人になった・・・!同じ条件ならサイヤ人の王子であるこのベジータ様の方がヤツをはるかに凌ぐんだ・・・!!」

18号戦。

▽ベジータ
「ふざけるな。一時期 抜かれはしたが今は元どおりオレの方が上になったはずだ」

このような自信は本当にベジータが悟空を超えていると予想させるものがあります。

また周囲の見立ても、これに共通するものが見られます。

ベジータが仙豆を食べて20号を追跡した場面。

▽ピッコロ
「こ・・・超えたかもしれん・・・。悟空を・・・・・・」

ベジータがドクター・ゲロの研究所へと飛び立った場面。

▽ピッコロ
「・・・・・・だが・・・・・・たしかにベジータは超サイヤ人になって悟空を超えるほどの強さを手に入れたようだ・・・・・・。ヤツの言うようにかたづけられるかもしれん・・・」

これらもベジータの自信の信頼性を思わせるものがあります。

このころの話には、ベジータが悟空を超えたと思わせる雰囲気が漂っていました。

しかし人造人間に敗北したころから、この解釈に疑問が沸くような流れも出てきます。

17号・18号が戦士たちを全滅させて、クリリンと対面した場面。

▽17号
「孫悟空はこの世で一番強いんだろ?人間では・・・」

戦士たちが仙豆を食べて復活した場面。

▽天津飯
「はっきり言うぞ・・・!悟空がいくら強いといってもトランクスやベジータとそれほど変わるもんじゃないはずだ・・・。絶対に勝てっこない・・・!!悟空でも・・・」

この時期になって、悟空の方がベジータよりも上ではないかと思わせる内容が目立ってきます。

この17号や天津飯の見立ては、それがデタラメなものではないというストーリー状況であってこそ、描く意味のあるものとなってくるように思う。



−2−

以前の考えの1つに、もしかして最初は「ベジータ≧悟空」という方向で描かれていたのに、途中から「悟空≧ベジータ」という内容に方向転換(設定変更)されてしまっていたのではないかというのがありました。

しかしこの考えは後に消滅します。

人造人間に敗北したベジータが、岩場で1人でくやしがっている場面。

▽ベジータ
「ス・・・超サイヤ人は天下無敵じゃなかったのか・・・!!それがなんだこのありさまは・・・!!さっきの無様なやられ方は・・・!!オ・・・オレはサイヤ人で最エリートの王子なんだ・・・。そ・・・そいつが超サイヤ人になれれば全宇宙で一番のはずなんだ・・・

この時点でもベジータが悟空を超えたと確信している内容は維持されています。
よって話の途中から目立つようになった「悟空≧ベジータ」ではないかと思わせる内容は、別に設定変更したものではないと考えられます。



−3−

では悟空とベジータの力関係はどのように考えられるのか。

そこで出てきた結論が「2人の強さは互角」というものです。

つまり悟空とベジータはどちらが勝っても全く不思議ではない五分五分の力関係ということです。。
ではベジータの絶対に自分の方が強いという自信はなにか・・。
これは第23回天下一武道会編のピッコロの自信と同じものではないかと思います。

決勝戦が始まろうとする直前の武舞台前のやりとり。

ピッコロ「ふっふっふ・・・。だが今度は絶対にキサマの息の根を止める・・・!言っておくが今度のピッコロ様の実力は3年前とは比べ物にならんぞ!」
悟空「それはオラだってだ!」
ピッコロ「くっくっく・・・せいぜいいきがっておくんだな。キサマさえ消せばあっというまにこの世はオレ様のものになる・・・!すばらしい魔の世界が待っているんだ!ふははははは・・・!!」

ピッコロが武舞台へと向かっていく場面。

▽ピッコロ
「仲間と別れを惜しむ必要はないぞ。キサマを殺した後すぐにそいつらもあの世に送ってやるからな」

武舞台で2人が向かい合う場面。

ピッコロ「覚悟はできたか」
悟空「なんの覚悟だ」
ピッコロ「もちろん・・・死ぬ覚悟だ!」

この時のピッコロも自らが負けることなど微塵も考えず、勝ちを100%確信している心理状況にあります。
ベジータの自信はこれと同じものなのではないかと思う。


次に超2悟飯と復活セルが対峙した場面です。

セル「ん・・・?なにがおかしい・・・気でもふれたのか?」
悟飯「ボクの思い上がりで死んでしまったお父さんのカタキが討てて嬉しいんだ。キサマはぜひこの手で殺したかったと思っていた・・・」
セル「ふん・・・それはどうかな?今度はそううまく行くとは思えんがな」

超2悟飯と復活セルは互角ではないかと考えますが、両者とも自らの負ける可能性など微塵も考えない自信に満ち溢れた態度が現われています。


このような光景は現実の格闘技やスポーツでも見ることができます。
K−1でどちらが勝っても全く不思議ではない試合を前に、両者から自分の勝ちを確信しているコメント(相手をたいしたことない呼ばわりするなど)が繰り出されるというのはよくあることです。
またプロ野球の日本シリーズ前も両監督から、勝ちを確信しているかのような自信に満ちたコメントが打ち出されるケースというのも割とあったりします。

勝ちを確信している態度とは、実際に自分の方が強い時だけでなく、どちらが勝っても全く不思議ではない互角の力関係の時にも出てくるものです。

ただし第23回天下一武道会決勝の悟空の態度はピッコロとは対称的なものです。

クリリン「ご・・・悟空・・・!絶対勝てよな・・・!自信あるんだろ!?」
悟空「自信なんてねえよ。まだあいつと闘ってねえもんな」

この時の悟空にピッコロのような勝ちを確信しているような自信はありません。
「勝ち負けはやってみなければわからない」といったものです。

次にフリーザ編で、悟空たちの前にジースがギニューを連れてやってきた場面。

クリリン「き・・・きやがったぜ・・・・・・。ど・・・どうだ悟空。こ・・・今度も勝てそうか・・・・・・!?」
悟空「やってみなくちゃわからねえよ。さすがに今度のヤツは桁違いの強さみてえだからな・・・」

この場面も、やはり「勝ち負けはやってみなければわからない」といった発言にとどめています。

どちらが勝っても全く不思議ではない闘いを前に、自らの勝ちを確信するかのような自信満々の態度をとるか、控えめの慎重な言動にとどめておくかというのは、個人の性格によるものが大きいと思う。
これは現実の格闘技やスポーツでも共通していることです。



−4−

人造人間編の悟空とベジータの力関係は第23回天下一武道会編の悟空とピッコロのようなどちらが勝っても全く不思議ではない互角の力関係にあるものだと考えました。

そう考えると、ベジータの悟空に勝てる気満々でいる絶対の自信。
その後の、悟空が最強ではないかと思わせるようなストーリーの流れ。
この両方が、馴染むものとなってくるのではないかと思う。

ベジータが、人造人間に敗北して岩場で悔しがっている場面。

▽ベジータ
「・・・・・・違う・・・!!オレはベジータだ!!敵がいくら強くてもオレはさらにそれを超える!!
そしてカカロット・・・・・・。人造人間を倒した後はキサマの番だ・・・・・・・・・」

これはラディッツ戦を前にピッコロが悟空に共闘を持ちかけた場面。

▽ピッコロ
「キサマと組み、やつとやつの仲間2人とやらを片付けたら・・・ もちろんその後はキサマをぶち倒して世界をこの手に頂くつもりだ!」

これに共通するものではないかと思います。



−5−

ピッコロの「超えたかもしれんな・・・。悟空を・・・」というのも、ベジータが悟空を超えたと断言しているものではありません。

そしてベジータが、ドクター・ゲロの研究所に向かって飛び立った場面。

▽ピッコロ
「・・・・・・だが・・・・・・たしかにベジータは超サイヤ人になって悟空を超えるほどの強さを手に入れたようだ・・・・・・。ヤツの言うようにかたづけられるかもしれん・・・」

この「悟空を超えるほどの強さを手に入れたようだ」とは、どのような意味のものなのか。

【国語辞典より】

■―――ようだ
推量。不確かな断定。歪曲な断定を表す。
例「どうやら雨がやんだようだ」



「―――ようだ」とは、「明日の天気は、晴れのようだ」「この国の治安は、悪いようだ」のように、推測を含めた不確かな断定要素を表現する時の言葉です。
基本的に断定できる事柄に対して「―――ようだ」という表現が使われることはありません。
よってピッコロの「悟空を超えるほどの強さを手に入れたようだ」というのも、明確に断定しているのではなく、ベジータの自信から本当にそうなのではないかと推測したものと考えられます。

総合的には、この時の悟空とベジータは、どちらが勝ってもおかしくない対等のライバル関係にあるという見方がベストではないかと思う。
ブウ編の超2悟空と超2ベジータ(魔力覚醒後)の力関係と同じです。

ここまでの考察が、ピンポイントで当てはまりそうな内容が存在します。

精神と時の部屋から出た悟空が、カリン塔で半分の力を見せた場面。

▽ベジータ(天界で悟空の気を感じて)
「(く・・・くそったれカカロットめ・・・。い・・・いつもだ・・・・・・。いつもオレより一歩先を行きやがって・・・・・・!!まったくアタマに来るやろうだ・・・・・・。追いついたと思ったらまた突き放しやがる・・・・・・)」

この「ベジータは悟空に追いついた」という表現が、人造人間編開始時点の2人の力関係を最も的確に示すものではないかと判断します。



−6.映画をもとに考える−

人造人間編開始時点の悟空とベジータの力関係が互角と考えることでしっくりくるものがもう1つあります。
それがこの時期をモデルにしたと推測される映画「激突!!100億パワーの戦士たち」(メタルクウラ戦)での悟空とベジータの力関係。
原作の人造人間編序盤からは「ベジータ≧悟空」という雰囲気が漂っているにも関わらず、この映画にその力関係を当てはめるのには抵抗があるというのがあるように思う。

この映画から自然に考えられやすいのは、2人の力関係は互角(どちらが勝っても全く不思議ではない)というものではないかと思います。
そしてこの力関係は、原作にそのまま当てはめていいものではないかと思う。


 映画「激突!!100億パワー〜」(メタルクウラ戦)/「超悟空=超ベジータ」

 原作の人造人間編開始時点/「超悟空=超ベジータ」





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