【ドラゴンボール 戦闘力考察関係】

<サイヤ人の死に掛けパワーアップ>

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サイヤ人の限界レベルは、種族としての能力範囲で、修業をしたからといって超えられるものではありません。
現実の人間が、特訓を重ねたからといって、野球で200kmの球を投げられたり、走力タイムで現在の世界記録を大幅に上回る速さで走ることができないのと同じです。

しかしここで疑問が出てきます。
それは死に掛けパワーアップを活用すれば、普通にサイヤ人の限界レベルを超えることができるのではないかということ。
サイヤ人の限界レベルにぶつかった歴代の天才戦士たちも死に掛けパワーアップをしていれば、普通にサイヤ人の限界レベルを超えられたのではないか・・・?
ということです。

しかしそれはないと思う。
なぜなら死に掛けパワーアップとは、無制限に力を上げていかれるものではなく、限界性のあるものだと考えるからです。

フリーザ戦でベジータがクリリンに自分を半殺しにさせるという意図的な死に掛けパワーアップを行なおうとした場面です。
(悟飯が逆上して第3フリーザを本気にさせるほどの強力なエネルギー波を放った後)

ベジータ「きさまもわかっただろう!!オレたちサイヤ人が死の一歩手前で復活した時に強さが増すことを!!さっさとこのオレを半殺しにするんだ!!」
クリリン「い・・・いくら大キライなおまえだってそんなこと・・・。も・・・もうすぐ悟空もよみがえるころだし」
ベジータ「カカロットは下級戦士だ!!あれ以上強くはなれん!!」


このベジータの「カカロットは下級戦士だ!!あれ以上強くはなれん!!」というのは、一見 適当な発言に思えます。
しかしそうではないと思う。

悟空の成長限界はナメック星到着時レベルで、それ以上の引き上がりはないという見立ては、ある程度 的を得ているものだと考えられます。

悟空がメディカルマシンで復活した場面を見ていきます。

[メディカルマシンをぶち破り、フリーザの宇宙船の屋根の上に立つ悟空]

悟空「強くなっている!!力がどんどん湧き出てくるようだ・・・!!信じられん・・・!今がほとんど限界だと思ったのに・・・。自分でも恐いくれえだ・・・」

悟空はサイヤ人の死のふちから甦るとパワーが増すという死に掛けパワーアップの特徴を理解しています。
しかしその上で「信じられん・・・!今がほとんど限界だと思ったのに・・・」という言葉。

このことから、悟空にとってメディカルマシンでの死に掛けパワーアップとは、予想外の出来事であったと考えられます。
この悟空の見立てはベジータに共通します。

ベジータが復活した悟空を目の当たりにした場面。

▽ベジータ
「(さ・・・さっきまでのカカロットじゃない・・・。とうとう限界の壁を乗り越えやがった・・・)」

この反応も悟空が死の手前から復活したところで、強さは変わらないだろうと見立てていたからこそと考えられます。


メディカルマシンでの復活による悟空の死に掛けパワーアップは、サイヤ人の死に掛けパワーアップという特徴から順当に考えられるものではありません。
本来なら死に掛けパワーアップを持ってしても乗り越えられないはずの「限界の壁」を打ち破ったという奇跡に近いものだったと考えられます。

この内容は、死に掛けパワーアップによる戦闘力の引き上がりに限界があることで成立するものです。



−2−

死に掛けパワーアップの限界性質は、作品としての大きな意味があります。
もし死に掛けパワーアップが無制限のものだとすると、仲間にわざと痛めつけられて死に掛けパワーアップを繰り返し、フリーザを超える戦士を誕生させるということも可能となってしまいます。
さらにそれを繰り返せば、超サイヤ人に覚醒せずとも超サイヤ人を超えることもできてしまいます。
しかしそんなことはさすがにあり得ないのではないかと思う。

死に掛けパワーアップを活用しても超えられない限界値とは、そのようなところからも必要になってくるものだと考えられます。



−3−

死に掛けパワーアップは無制限要素のものではありません。
そしてサイヤ人の種族の壁となる「サイヤ人の限界レベル」。
これは死に掛けパワーアップを含めてのものと考えるのが妥当ではないかと思う。

悟空やベジータが死に掛けパワーアップの連続でサイヤ人の限界レベルを超えられたのは、歴代の1000年に1人の戦士に該当する突然変異で生まれた超天才戦士だったからだと推測します。
誰でも死に掛けパワーアップを連続すれば、サイヤ人の限界レベルを超えられるというものではありません。

ではサイヤ人の限界レベルまでなら、誰でも死に掛けパワーアップを連発すれば到達することができるのか。
そうではないと思う。

1000年に1人の超天才戦士とサイヤ人の限界レベルにぶつかった歴代の天才戦士で死に掛けパワーアップの引き上がり限界が異なるのは、戦士としての能力が大きく異なるからです。
そうすると種族レベルの中でも、戦士の能力によって、死に掛けパワーアップの引き上がり限界は異なってくるものと思う。

ベジータの「カカロットは下級戦士だ!!あれ以上強くはなれん!!」というのも、下級戦士とエリートの差を意味するものです。

死に掛けパワーアップによってサイヤ人の限界レベルまで到達できるサイヤ人とは、サイヤ人の限界レベルにぶつかった歴代の天才戦士たちのような、種族レベルのサイヤ人の中でも相当に能力の高い一部の者だけと考えられます。

地球来襲時のベジータの強さも、誰でも死に掛けパワーアップを連発すれば到達できるといったものではないと思う。
ラディッツのようなそこらの下級戦士では、死に掛けパワーアップを連発しても地球来襲ベジータの強さには届かない(それより下で成長限界に達する)と判断します。
それどころかナッパのような普通のエリートレベルでも、だいたいの下級戦士は到達できないと見るのが適切ではないかと思う。

下級戦士のエリートを超えられない壁とは、死に掛けパワーアップを含めてのものと推測します。
バーダックが死に掛けパワーアップを繰り返して戦闘力が10000近くまで到達できたのは、悟空と同じく下級戦士の中でも一部の優れた存在だったからではないかと思う。

死に掛けパワーアップの成長限界は、修業による成長限界でもあり、これは各自の潜在パワーの大小に規定されます。



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これと同じ考え方ができるのが、ターレス一味の食していた神聖樹の実です。
これも同様の理由で、無制限にパワーアップしていかれるものではないと判断します。

もしブリーフ博士が神聖樹の実を無制限に食べることができ、フリーザや超サイヤ人、さらにはセルやブウのレベルにまで到達することが可能なのかといったら、それはあり得ないのではないかと思う。

ラディッツに殺された農家のおっさん(戦闘力5)など、ただの一般人が神聖樹の実を食べ続けて得られる強さは、たかが知れているのではないかと推測します。

神聖樹の実とはどのような性質のものなのか。
これはその者にもともと秘められている潜在パワーを引き出すといった効果のものではないかと思う。

神聖樹の実を食べ続けてフリーザを超える力を得られる者とは、フリーザを超える潜在パワーを秘めているものだけだと推測します。
ブリーフ博士やブルマなど、ただの一般人が神聖樹の実を無制限に食べ続けてもフリーザを超えることはありません。

ターレスが神聖樹の実を食べ続けてあれだけの力を得られたのも、悟空と同じく下級戦士の中でも稀にしか生まれない潜在パワーの高いサイヤ人だったからと推測します。




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