【ドラゴンボール考察 キャラクター編】
<敵にとどめを刺そうとする闘いとのちがい>
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敵にとどめを刺そうとしないのが悟空の闘いに対する姿勢だと考えました。
しかし作中には初代ピッコロ大魔王戦やチビブウ戦のように明らかに敵にとどめを刺しにいって倒している(殺している)ものが存在します。
ラディッツ戦も自らの命を犠牲にしてまでピッコロの魔貫光殺砲でぶち抜かせるなど、なにがなんでもとどめを刺しにいこうとするものでした。
そのちがいはなにか。
悟空が敵にとどめを刺しにいっているケースの特徴。
それはここで相手を倒さなければ自分は殺されて世界は終わってしまうという状況にある点ではないかと思う。
この闘いの中に敵にとどめを刺さないようにと考えていられるような余裕はありません。
映画版のDr.ウイロー戦、ターレス戦、スラッグ戦、クウラ戦、メタルクウラ戦、合体13号戦、ブロリー戦、ヒルデガーン戦もこのタイプに含まれます。
−2−
悟空が敵にとどめを刺そうとしない闘いとは、どのようなものなのか。
悟空がギニュー戦で18万のパワーを発揮した場面。
▽悟空
「わりいがおめえはオラに勝つことはできねえ。オラはムダな闘いはしたくねえんだ。おめえたちこの星から消えてくれ」
このような悟空が「ムダな闘い」と判断するような状況にあるという点ではないかと思う。
バータを倒した時も
「これでわかっただろう!!ムダな闘いはよせ!!こいつもさっきのヤツもまだ死んじゃいねえ!はやいうちにこいつら連れてこの星から出てけ!!」
と同様の発現をしています。
次に超サイヤ人の悟空がピークを過ぎた100%フリーザを圧倒しはじめてから闘いをやめた場面。
悟空「やめだ」
フリーザ「なっ なんだとっ!?や・・・やめだとはどういうことだっ・・・・・・・・・!!!」
悟空「きさまは100%のパワーを使った反動でピークを過ぎ、気がどんどんと減っている・・・。これ以上 闘ってもムダだとオレは思い始めた・・・。もうオレの気はすんだ。キサマのプライドはすでにズタズタだ・・・。この世で誰も越えるはずのない自分(フリーザ)を超えるものが現れてしまった・・・。しかもそいつはたかがサイヤ人だった・・・」
「今の怯え始めたキサマを倒しても意味はない。ショックを受けたまま生き続けるがいい、ひっそりとな・・・」
悟空がこれ以上の闘いをムダだと判断したのは、怯え始めたフリーザを倒すことに意味がないと考えたからです。
悟空が敵にとどめを刺そうとしない闘いとは、悟空にとって勝負の行方が見えたものになっている(または相手が気絶してすでに勝負は決している)といった特徴があります。
逆にとどめを刺しにいく闘いとは、決着の一撃を放つまで勝負の行方は見えないものになっています。
決着の一撃を放たなければ、敗北するのは自分になってしまうためです。
これが敵にとどめを刺しにいく闘いとそうでない闘いのちがいではないかと思う。
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