【ドラゴンボール考察 気と戦闘力の関係】

<気を強くする技術>

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地球に来襲したベジータ&ナッパは、力を込めて気を強くしていました。
また人造人間編で、ドクター・ゲロの研究所を見つけたクリリンが、みんなに知らせるために気を高めていた時も、力を込めています。
戦闘力のコントロールができない者でも、戦闘時は気が強くなるという性質も、力を込めるという性質がると思われます。

では現実の人間の誰もができる力を込める動作というのは、気が強くなることにつながるのか。
決してそうではないと考えます。

地球に来襲したベジータ&ナッパが力を込めて気を強くしていたのは、旧戦闘力概念では戦闘力のコントロールができる者だけの技術とされていた「気をためる(気を集中する)」というものです。

旧戦闘力概念では、気を強くするというのは、戦闘力のコントロールができる者だけの特権で、それがかめはめ波のような気をためる必殺技が、戦闘力のコントロールができる者だけの特権という内容につながります。

したがって現実の人間が力を込めるような動作では、気の強さは上がらないと考えられます。
旧戦闘力概念の中で描かれるラディッツも、現実の人間が力を込めるような動作は普通にできますが、それでは戦闘力(気の強さ)は上がらないということです。



−2−

サイヤ人の来襲が迫ってきた時期の、ピッコロと悟飯の組手修業の場面。
(18巻・104頁・4コマ目)

▽ピッコロ(悟飯のキックをガードしながら)
「よしっ そうだっ!!!気がコントロールできはじめたぞっ!!!」

ここから「気をためる(気を集中する)」という技術とは「気のコントロール」と表現することもできます。
そして戦闘時に気が強くなるのは、このような気のコントロールができる者だけということになります。

『H×H』でいうと、念能力者に相当するような存在で、『DB』での戦闘時に気が強くなる者同士の闘いとは、『H×H』でいう念能力者同士のバトルのような感じでとらえられるものではないかと考えます。
フリーザ軍一般兵士のようなザコとして描かれる者は、『H×H』での天空闘技場編やグリードアイランド編で出てきた、念能力者でありながらザコのように描かれる存在と同じような感じで見ていいものではないかと思う。

したがってサタンや一般人など、気のコントロールができない者では、力を込めても気は強くならないということになります。




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